ひとりごと「No1」

私 の 大 雪 山
 ふるさとの山は有り難きかな。

 私は、大雪山の麓の東川村(今は東川町)で生まれ、大雪山を見ながら育ちました。 祖父(山形から入植)の代から米作農家であって大雪山から流れ出る水で米作りをしていました。それ故、私たち家族が受けた恩恵は計り知れません。 中学校を卒業するまでの9年間、その大雪の頂を見ながら片道約4kの道のりを歩いて登、下校したものでした。
 春は白い山肌を次第に青く変え、夏へ。秋は錦繍。そして、冬は純白の世界へ。 静かに、力強くその装いを変えていきます。私は初夏の白と青のコントラストの美しさと、秋から冬に入り込む時の景色が好きでした。稲刈りを終えた水田には、稲はさ
最近みなくなった稲はさ
が最後の収穫の時を迎えて立ち並び、澄み渡った秋空の向こうには大雪の山並みが見えていました。平地では雨だが、山頂では雪が舞い降り、山々が一気に衣替えをしていく、それが太陽の光を受けて鮮やかに輝き、冬支度の時を知らせてくれたのです。
 最も印象的であったのは、漆黒の闇夜に月明かりが稜線だけを青白く浮かび上がらせ細く、長く、南へ向かってのび、その神秘的で得体の知れない美しさは、今も目に焼き付いて離れません。 私はこの山に憧れを抱き、何時かこの大雪山を縦走してみたいと思っていました。
 その後、ようやく縦走することができました。 この山は決して、私の期待を裏切らず、この時に覚えた感動はいつまでも忘れることがないでしょう。
 文人大町桂月が大正10年(1921)、今の層雲峡から黒岳〜旭岳〜天人峡温泉(当時松山温泉と呼ばれていた。)を縦走し、同年中央公論の紀行文のはじめに「富士山に登って山岳の高さを語れ、大雪山登って山岳の大きさを語れ。」と記したように雄大で、緑も多く、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)にふさわしい素晴らしいものでした。
 登山道の傍には高山植物が咲き、疲れた身体に一服の清涼感を与えてくれました。又縦走不可能かという疲れきった状況の中では、ハッキリと自分の未熟さや腑甲斐なさも教えてくれました。
 「ふるさとの山に向って言うことなし、ふるさとの山は有り難きかな。」いつも雄大に聳え、優しく、時には厳しく、私達を迎えてくれる「ダイセツ」の山々、無言であっても、ただそこに存在するだけで有形、無形に何かを語りかけ、教え、そして与えてくれています。
 私は、この大雪の山々に畏敬の念を抱くと共に何か恩返しが出来たらと思うのです。
 今、大雪山のパークボランティアとなって、意を同じく大雪山を愛する仲間と共にこの山に何かが出来ることに幸せを感じています。            
kanto Shigeharu (2000.11.12記)

 
 写真:下
 旭岳姿見の池 (s41.8.14)


 











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